(2)労働者の意識
労働者にもサービス残業を容認してしまう意識が少なからず存在していることも見逃せない。
例えば、相次ぐ人員削減で、これまで複数人で担当していた仕事を一人で担当させられる。当然、長時間労働を余儀なくされ、サービス残業にもなる。ところが、労働者は人員整理を目のあたりにしているため、次なる対象者に追い込まれないよう、違法なサービス残業にも異議を申し立てることができないといったようなケースである。このような場合、厳密には労働者がサービス残業を「容認」しているわけではないが、「仕方ない」「みんなも同じ」という意識になってしまっている場合もあろう(匿名の申告・相談を受ける場合もあるが、おそらく少数であろう。)
他方、労働者が仕事の達成感、将来の出世等のために自ら進んで長時間労働(多くはサービス残業)を行うというケースもある。「労働者アンケート」では「サービス残業を強いられている原因」を尋ねているが、26.3%が「労働者が自主的に行っている」と回答しており、こうした実情を窺わせる(図7参照)。
労働基準法は、そのほとんどが使用者を義務づける規定(条文)で成り立っており、それを施行する立場から、労働者のこうした意識を問題にすることは適当ではないし、労働者を義務付ける新たな規定を立法することも賛成しかねる。しかし、労働者の立場から、長時間労働・サービス残業の数々の弊害について理解を深めることは重要である。すなわち、長時間労働は一方で多くの失業者を生み出し、長時間労働と高失業が併存する「いびつな社会」をつくり出していることを直視しなければならない。
また、サービス残業は労働力の価格の「ダンピング」であることを考えるべきであろう。個々の労働者にとっては「正しい選択(出世等の、」ためにサービス残業を進んで行う等)であっても、全体として労働者の権利・利益を大きく後退させていく「合成の誤謬」を招来させているのである。
また、少子化が急速に進み、また男女平等の社会参画が求められる中で、労働者が地域や家庭において担わねばならない役割は確実に増えている。こうした役割を的確に果たすためにも、長時間労働・サービス残業は解消される必要がある。
第5章 長時間労働・サービス残業の解消のために(提言)
前記第4章 で長時間労働・サービス残業を生み出す原因等を見てきたが、サービス残業は長時間労働を助長する大きな要因であることから、長時間労働を解消するためには、何よりも、サービス残業を解消することが重要である。このことに留意しながら、「監督官アンケート」の結果やその分析等をふまえて、長時間労働・サービス残業の解消に必要な措置を提言する。
1 労働時間の上限規制(罰則付き)と罰則の強化
-時間外労働が雇用の「調整弁」などとした口実はもはや通用しない-
前記第4章 -2-(1)で詳述したように、現行の時間外労働の協定制度は事業主にとってもわかりにくいばかりか、後記・(補論)で指摘しているとおり、労使対等が「空論」である以上、長時間労働の抑制は甚だおぼつかないと言うべきである(監督官の労基法32条違反(協定時間を超えた時間外労働)の是正勧告に対して、時間外労働を減らすのではなく、協定時間を長くした新たな協定の締結によって「是正」がはかられるというケースは少なくない)。これを解決するには労働時間の上限を直接規制することが望ましい。この場合、当面、労基法に根拠をおく「限度基準」(告示)が、その水準(上限)として相応しい。
もっとも、かつてこうした論議が行われたことがあった。男女雇用機会均等法の成立(1997年)に際して、女性労働者にだけに時間外労働の上限規制があることが問題になったのである。その解決策としては、この規制を廃止するか、男性労働者にも同様の規制を設けるかであるが、後者に対しては、使用者側等の反対があり、結局、前者がとられた(上限規制は経過措置を経て1999年3月31日をもって廃止)。そのときの使用者側の言い分は、時間外労働は雇用を維持するための「調整弁」であり、上限規制はなじまないというものだった。今日、終身雇用モデルは大きく崩れ、激しいリストラの実情を見るにつけて使用者の雇用維持のモラルは完全に失われていると言ってよい。ならば、上限規制に反対する理由の1つは完全に崩壊したと言ってよく、あらためて、先進諸外国では常識となっている労働時間の上限規制(罰則付き)の論議を始めるべきである。あわせて、現行規定の罰則はきわめて軽く、これを強化することも必要である。
また、現在、商業、映画・演劇業、保健衛生業、接客娯楽業であって、常時10人未満の労働者を使用する事業場に認められている「週44時間制」の「特例措置」は速やかに廃止すべきである。
なお、「監督官アンケート」では、長時間労働解消のために必要な措置として、「労働時間の上限規制」を指摘した者は34.5%に止まっており、必ずしも高率とは言えない。多くの監督官は、現在、長時間労働の多くが労働基準法違反を伴っており、その原因が不十分な行政体制にあることを知っており、たとえ新たに上限規制ができたとしても、その効果に大きな期待は持てないと感じているのではないだろうか。
2 時間外労働の協定制度の厳格な運用
-労働基準のダブルスタンダード(適用除外)は労基法の精神にもとる-
労働時間の上限規制によって、時間外労働の協定制度が不要になるわけではなく、あわせて、その機能を十全に発揮させる措置が求められている。
従って、「限度基準」(厚生労働省告示)が定める限度時間を守った協定の締結を促す指導は引き続き強化すべきである。その上で、一定の業種・業務に認められた「適用除外」は、速やかに廃止すべきである。
労働基準法は言うまでもなく、すべての労働者に対する最低労働条件を定めたものであり、一定の業種・業務について例外を設けるには、とりわけ高い合理性が求められる。その場合、行政にはその例外を早期に解消する積極的な努力が求められており、有効な施策を打ち出す義務がある。長年にわたってこうした例外を許容することは労働基準法の精神にもとると言うべきである。
また、協定の内容の適正をはかるためには、関係労働者の監視(チェック)が重要であり、協定内容の周知義務を強化・具体化すべきである。
近年、各企業は投資家のために様々な企業情報を開示するようになっており、その方向での規制も強まっている。使用する労働者に労働条件の重要な部分である協定内容等を十分周知することは、投資家への配慮以上に重要であり(作業場に備え付けるだけで足りるとするのでなく)、積極的な周知措置を義務づけるべきである。
「特別条項」については、近い将来、廃止されるべきであるが、当面、存続させるならば「限度基準」の原則がないがしろにされることがないよう、その内容のさらなる限定と手続きの厳格化をはかる必要がある(その上で、モデル手順を作成し周知するなどの施策が必要である)。特に、「特別条項」への移行にあたっては、必ず労使の協議を要するとすべきであり、使用者からの一方的な「通告」を不可とすべきである。
労働者代表の選出方法についても、厳格な手続きとなるよう見直すべきである。労働基準監督署では、労働者代表の選出方法の適正化にむけた指導を、行政体制面の整備と合わせて重視する必要がある(その際、今後の電子申請化の動きにも留意する必要がある)。
なお、一部の社会保険労務士が顧問先の協定届を大量に提出するケースがあり、しかも提出される数十枚(時には数百枚)に及ぶ全ての協定届の内容が、全くの同一内容(限度基準どおりの場合が多い)となっていることがある。このようなケースは労使の交渉・協議が適切に行われたかどうか疑わしく、専門家が関与しているだけに実態調査(サンプリング調査)を含めて特に厳格に対応すべきである。
3 労働時間の把握義務の強化
-労働時間把握と記録の義務は直ちに罰則をもって強制すべき-
平成13年4月6日付基発第339号「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」が明言した使用者の労働時間把握義務(始業・終業時刻の把握)及び記録義務は直ちに罰則をもって強制すべきである。また、その記録を改ざんする行為を厳しく処罰することも検討に値する。
このような主張に対しては、使用者側からは「新たな負担」であるとして強い抵抗が予想されるが、使用者には、そもそも労働者が安全で健康に就労することができるようにする安全配慮義務=「労働者が使用者の指示の下に労務を提供する過程などにおいて、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務」(最判昭59・4・10等)が課せられている。今日、長時間労働が過労死・過労自殺等の過労性疾病を引き起こすことは明らかであり、これを予防する義務が「安全配慮義務」の内容であることは論を待たず、その履行のため、労働者の勤務の状況、すなわち労働者各人の始業・終業時刻の把握及び記録は当然の義務なのである。なお、労働時間の「自己申告制」については「真にやむを得ない場合に限る」ことと、し、申告した労働時間の多寡によって不利益を被る可能性のある制度を禁止するなど厳しい要件を課すべきである。
4 割増賃金制度の抜本的な改善
「割引賃金」の現状を改めるため、割増率と算定基礎の両面から改善-
現行の割増賃金制度が、時間外労働を抑制するために十分機能し得ず「割増賃金」な、らぬ「割引賃金」となっていることは前述のとおりであり(第4章
-2-(2))、割増率と算定基礎の両面から、改善をはかるべきである。
割増率については、多くの先進諸国の割増率に準じて、時間外労働・深夜労働については5割程度の割増、休日労働については10割程度の割増がそれぞれ妥当である。時間外労働時間に応じて段階的に割増率が高くなる制度もその趣旨にてらして合理的である。また、生活時間の確保の観点から、深夜時間帯(労基法37条3項)に加えて「準深夜時間帯」(午後8時から午後10時と午前5時から午前7時)を設け、2.5割程度の割増とすることも検討に値する。
算定基礎については、賞与等を含めた年収を基礎に算定すべきである。この場合、割増賃金の単価の算出が複雑になることが懸念されることから「前年(度)の賞与÷勤務月、数」を算定基礎に含めるなどの簡素な方法も許容すべきであろう。
5労働基準法等の要件・定義の明確化と周知の徹底等
-要件・定義の明確化が法令の規制力を強める-
「管理監督者の範囲」「裁量労働制の適用範囲」等の要件・定義の曖昧さがサービス残業・長時間労働の温床となっていることをふまえ、これを具体化する政省令あるいは指針等を整備すべきである。
その上で、使用者はもとより、労働者にも十分理解が浸透するようわかりやすいパンフレット等を作成し、周知徹底をはかるべきである。
あわせて、「端数時間(分単位等)の切り捨て」、「仮眠時間・手待ち時間の不適切な運用」、「年俸制の不適切な運用」などによって生じるサービス残業については、労働基準法の解釈に関する周知不足が起因していると考えられることから、同様に周知徹底に向けた積極的な施策を講ずべきである。
なお、総合規制改革会議等が求めているホワイトカラー・エクゼンプションの導入は、「管理監督者の範囲」の無制限な拡大にほかならず、サービス残業の「合法化」とも言うべきものであるので行うべきでない。
また「時間外労働手当の定額制」については、恒常的な時間外労働を前提とした制度、であり、労働時間の原則に反するものであることから、こうした就業規則等のとりきめ自体を無効とすべきである(この場合、一定額は割増賃金の算定基礎に含める)。
6年次有給休暇の取得促進にむけた新たな措置
-逆転の発想=未消化の年次有給休暇に対するペナルティ手当の創設-
年次有給休暇の付与日数は、この間の法改正の中で増加しているが、現実に付与されている有給休暇の消化率は50%を切っている。今日、年次有給休暇を如何に取得しやすい環境をつくり出すかが問われている。年次有給休暇が20日付与されている労働者がこれを全て消化した場合、一日の実労働時間を8時間とすると年間の総労働時間を160時間も引き下げることとなり、長時間労働の抑制効果も十分期待される。
そのため、年次有給休暇の完全消化のための新たな立法上の措置を講ずべきであり、例えば、未消化で消滅する有給休暇日数に応じた新手当(ペナルティの要素を加味して平均賃金の3倍程度)を支払う義務を創設してはどうだろうか(【注】参照)。これまで、こうした有給休暇の買い取り制度は有給休暇の請求抑制につながると考えられ、原則として無効とされてきたが、この際、発想を転換してはどうか。使用者は長時間労働を強いるよりも強く有給休暇の取得を労働者に迫ることとなるだろう(この場合、労働者の時季指定権は厳格に確保することが前提となる。このほか、・前年の年次有給休暇のうち時効消滅)した年次有給休暇数に応じた「特別休日(有給)の(新たな1年間の中での)付与を義」務づけること、・当該事業場で時効消滅した有給休暇日数に応じて新たな人員の雇い入れを義務づけることなど、新たな発想で多様な方策を検討していくべきであろう。
【注】「年次有給休暇に関する条約(第132号)(未批准)」は、「最低年次有給休暇を受ける権利を放棄し又はその廃止する協定は、国内事情の下において適当である場合には、無効とし又は禁止する」(第12条)としている。
7休息・生活時間の確保に向けた新たな措置
-最低8時間の休息時間(勤務と次の勤務の間の休息)の保障が必要-
労働基準法が長時間労働=時間外労働を抑制する目的を有していることは明白であるが、その裏返しである労働者の生活時間・休息時間の確保の観点を中心に置いた規定は少ない。こうした観点から次の措置の創設を検討すべきである。
(a)1ヶ月単位変形労働時間制等の要件の厳格化
現在、1ヶ月単位変形労働時間制導入の要件は、変形期間内の総労働時間や各日の始業・終業時刻の特定などに止まり、1勤務における労働時間の長さには何らの制約がなく、非常識とも言える勤務状況(始業・終業時刻の設定)が散見されることから、1勤務における労働時間の上限を定めるべきである。
また、1ヶ月単位変形労働時間制及び1年単位変形労働時間制について、変形期間開始後に個々の労働者の同意のない一方的な「始業・終業時刻の変更」「休日の振替」を禁止しすることを法令上明記すべきである。
(b)勤務から次の勤務までの休息時間の確保
現行法上、勤務から次の勤務までの休息時間の確保に関する規制は存在しない(但し、自動車運転者の「改善基準」に一定の措置が盛り込まれている)。フランス等では、生活・休息時間の確保等の観点から、こうした規制が存在しており、立法化を図るべきである(例えば、8時間の休息時間を保障するなど)。
(c)拘束時間への新たな規制
現行法上、実労働時間に対する規制は存在するものの、拘束時間に関する規制は休日の確保を除き存在しない。しかしながら、生活時間の確保の観点からすれば、拘束時間の長さは切実な問題であり、一定の規制が講じられるべきである。